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118件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2010-05-19 第174回国会 衆議院 経済産業委員会 第12号

一九八三年にはレイテ島で、丸紅、伊藤忠、住友商事がフィリピンのパサール社に三二%の出資で銅の販売権を取得して、三井金属鉱業古河鉱業がプラントの建設と製錬を行って、日本国内では許されない廃液を垂れ流して公害を生み出しました。もちろん、こうした現地子会社の方は損害賠償能力はないというのが実態です。  

吉井英勝

1991-03-11 第120回国会 衆議院 予算委員会第六分科会 第1号

この地域昭和三十八年前後に浅所の石炭採掘被害が発生した地域として通産局が認定をいたしまして、古河鉱業鉱害復旧をしてきたところです。ところが前所有者からこの家屋を五十八年に佐藤さんは買い取ったわけなんです。それで五十九年四月二十六日に鉱害復旧の申請をしたのですけれども、いまだに未認定という状態になっているわけです。

三浦久

1988-11-10 第113回国会 参議院 文教委員会 第7号

言いかえれば、端的に申し上げますと、マラドーナは参加はいけないけれども、かつて西ドイツでプロをやっておりました、日本の今古河鉱業に属しております奥寺ならば参加してもよろしいというような決め方。それから馬術につきましては、いわゆる欧州に多いプロライダーについても、国際馬術連盟の承認があれば原則的に参加は可能だというようなこと。  

坂元弘直

1986-04-08 第104回国会 衆議院 地方行政委員会 第9号

特に足尾町のごときは、かつて古河鉱業が銅を採掘しておった当時は三万八千人を数えた人口が、現在では外国から鉱材を買っての製錬のみとなって、人口は五千五百人というまさに存在をするだけの超過疎の町になってしまったわけであります。  しかし、古河鉱業の今の世界に冠たる自溶製錬法という製錬技術を誇る製錬所は日本鉱業界のためにも何としても残していかなければならないものでございます。

小川省吾

1985-03-29 第102回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第3号

そこで、有資力の問題で、依然としてちょっと残っておりますから、この問題をこれから後処理するに当たって、今大きなところは三井石炭鉱業、それから古河鉱業ですね。これを見ますと、資料をいただいておりますが、それぞれこの十年を目指してということで、五十七年度から具体的な復旧工事を進めておるわけでありますけれども残存鉱害量からいたしますと、このままで果たしていいだろうかという感じがします。

中西績介

1984-08-03 第101回国会 衆議院 商工委員会 第19号

それから、今のようにただ軽薄に走り回ろうとしているのに対して、もう一度足元を見詰めていきながら、地場産業なりあるいは地方産業なり、長い歴史を持っておる、例えば足尾古河鉱業これは自溶製錬技術というものは世界に冠たるものを持っている、こういうところの基盤を奪わないような対策というものを講じていくべきだと私は思います。

後藤茂

1983-05-18 第98回国会 衆議院 運輸委員会 第11号

あるいは通産省おいでになりますが、古河鉱業足尾銅山問題がありますね。あるいは麒麟麦酒やキッコーマンの大量輸送に対する動き、先ほど同僚委員が言いました超重量電気機器輸送維持確保について、こういうたくさんの諸君たちの問題がある。農林省の場合は、北海道の種バレイショ車扱いではなしに送るということになればこれは全滅をする、こういう状態もある。米は集荷体制はばらばらである。

野坂浩賢

1983-03-24 第98回国会 参議院 地方行政委員会 第4号

どもはさらに心配をしているのは、あの足尾線がだめになったら、古河鉱業のあそこの企業はあそこに立地する意味がない、だからもう撤去せざるを得ない。こういうことになれば、六千人を割ってしまった人口がさらにこれは減少していくでしょうし、さらにまた足尾から原料供給をしている日光市への影響というのも大変なものなんです。  現に日光は市でありながらも人口二万人を割りそうな状況にあります。

上野雄文

1982-03-29 第96回国会 参議院 予算委員会 第17号

現在の指名業者いわゆる産銅七社でございまして、七社名を申し上げますと、順不同で申し上げますが、三井金属鉱業株式会社日本鉱業株式会社住友金属鉱山株式会社三菱金属株式会社同和鉱業株式会社古河鉱業株式会社日鉄鉱業株式会社、この七社でございます。いずれも大阪で契約いたしますので、窓口は大阪支店なり、大阪支社ということになっております。

山田選

1981-05-07 第94回国会 参議院 商工委員会 第8号

実は、御存じのように、ずっと三十年代から山がつぶれていきまして、それと相前後して昭和二十八年に臨鉱法ができて鉱害復旧をやっているわけですが、そのときは私たちのところで言えば、ずっと遠賀川上流から古河鉱業があり、その次に三井があり、明治があり、三菱があると、こういうようにその遠賀川上流から下流に向かってずっとかつての財閥会社が全部鉱区を持って石炭を掘ったわけです。

滝井義高

1980-11-11 第93回国会 参議院 運輸委員会 第5号

そして、ここは製錬の足尾古河鉱業でございますが、ここで生きている町、唯一の産業なんです。この産業、この古河関係で働いている人は一千人というふうに言われております。もしここが廃止されれば、運賃コストの面から見ても非常に大変な問題になると。町の人口は六千人くらいなんですけれども、ここも陳情にもいらっしゃって、私いろいろ調べさせていただいたわけですけれども、ここはまた特殊な問題がございます。  

小笠原貞子

1980-10-31 第93回国会 衆議院 地方行政委員会 第3号

私はこれに関連をして、ことしの四月二十一日にお尋ねをいたしたわけなんでありますけれども足尾線というのは、線そのものとしては四十六キロ程度で、沿線には一市二町二カ村を持っておる短い路線でございますけれども、これは足尾古河鉱業の製錬所を持っておりまして、貨物の輸送が非常に大きい線でございます。

小川省吾